下灘駅が有名になったのは1999年「青春18きっぷ」ポスター。
私が実家・愛媛の八幡浜を離れて4年が過ぎようとした大学4年生の冬だった。
青春18きっぷを1997年夏の帰省(前橋から八幡浜までを往復)で初めて使って以来気にかけていたから、下灘駅の写真だとわかったときに、看板の向き違うなあ、と思ったものだ。
toyokeizai.net
下灘駅がある予讃線・伊予長浜経由は、特急が走らない。
高校生の時には、行きは特急を使って内子経由で松山に行く(約50分)けど、帰りは特急料金をケチって、普通列車で帰る(約2時間)ことが多かった。女3人で松山に遊びに行った帰り、さっさと帰ってしまうのが惜しくなって、長浜経由で海見ながらゆっくり帰ろうよと乗り込み、散々ぱら話をして、話疲れてもまだ八幡浜に着かず、眠りこけたのを覚えている。
seaside-station.com
地方の観光列車が続々登場し、愛媛でも観光列車が走ることになったよ!というので見てみたら、「伊予灘ものがたり」は過疎化が進む長浜周りの線路を活用する運行になっていて、うれしかった。
そうか、内子は特急が走る上に単線だから長浜周りにして、双海の海と大洲城をセットにするのか、と納得。
2014年から「伊予灘ものがたり」が運行開始して乗車の機会がないままに2021年で運休。2022年から特急列車化して3両編成で再度運行開始。
愛媛には3年帰省していないので、ほんとに久しぶりの帰省。
帰省なので当然松山→八幡浜を運行する「八幡浜編」を予約したい。
今年は結婚20周年というのもあって、なんとか「伊予灘ものがたり」の3号車(一両貸切)を予約できないものかとタイミングを見計らっていました。
運行が決まってる9月までの日程で、一番空いているシーズンとするとGW明けから6月中。
ツアーで先行予約が入っていると予約が取れないから、ツアー日以外。
www.jr-eki.com
例年5月末か6月頭で地元のホタルを見るために帰省しているので、6月3日に帰省することにしました。
「伊予灘ものがたり」の3号車の予約は、みどりの窓口だけ。6月3日の予約をするのに1か月前の5月3日10時。GW中の受付開始ということもあって、裏磐梯キャンプの予定だったから、郡山のみどりの窓口に行く。
窓口のお姉さんが「あ、3号車空いてます」というので、さくっと予約してくれました。
台風2号が日本列島を上陸しないまま北上していて、当日朝に飛行機が飛ぶか心配でしたが、無事に飛んでくれました(すごい揺れた)。
令和5年台風第2号 - Wikipedia
松山駅で八幡浜から特急に乗ってきた両親と待ち合わせ。食事を予約しているので駅のカフェで時間つぶし。
入線する列車を見たかったのだけれど、いつのまにか入線していました。
3番線なので連絡橋を渡ります。連絡橋にものれんがあってうれしい。
初代の2両編成では、夕日(赤)と柑橘(黄色)がイメージされていたので、3号車は海をイメージした青になったりするのかなと思ったけど、カラーリングは赤と黄色から変わらず。2号車が2色遣いになって、3号車は黄色。
1号車「茜」2号車「黄金」なので、海っぽい名前になるかと思ったけど、「陽華(はるか)の章」という素敵な名前がつけられた。
陽華の章の専用マット。桜がモチーフ。
こんな感じでカウンターが出迎えてくれるはず・・・だったんですが、カウンターの後ろがギャレーになっているので、食事のトレーがカウンターに山となっており、準備でお姉さんたちが右往左往、でした。(この写真は下車時に撮影したもの)
カウンターを過ぎると個室。2人掛けの椅子が4個あって、2名から予約可、最大8人まで。今回は両親のほかに、弟と妹も誘ったのだけれど、残念ながら仕事休めず不参加です。
乗車時はブラインドが下がっていますが、これリモコンで上下できる優れもの。
落ち着いて座れず、凝った内装を確認しているうちに発車。
見送られて出発です。この「おてふり」この後も何回も出てくる。
陽華の章限定のウェルカムドリンク(愛媛柑橘)に、陽華の章のサクラプリントクッキー。
車内アナウンスでは、バスガイドよろしく景色の紹介をしてくれます。
まあ当然はずせない坊ちゃんスタジアム。私はむしろ一級河川・重信川を紹介してほしい。
元は伊予川という名称だったけれども治水工事を行った足立重信(加藤嘉明の治世の家臣)にちなんだものなの。
2020年開業の新駅!新車両基地には転車台もあるらしいがわからなかったー。
そうこうしているうちにお食事がはじまる。カップのデザインがみんなばらばらで素敵。
八幡浜編はレストラン門田(松山にある有名フランス料理店)のミニフレンチ。門田行ったことないけど!
あら、器はオリジナルだわ。
冷製料理はローストポークがメイン。みかんソースをかけていただく。
しらすとそら豆のキッシュがおいしい。もう一つのお肉は、あい鴨?とメニューを見ながらいただく。
もぐもぐしているうちに内子線と分岐。3号車は最後尾車両なのですけれどモニターで見られます。
八幡浜の名店・宮川菓子舗のうすかわまんじゅうが差し入れ。
陽華の章クッキーがもったいなくて食べれん。
伊予灘が見えてきます。6月の帰省は天気が悪いことが多くて、台風も来てたからどうなることかと思ったけれど台風一過の快晴!
帰り(八幡浜→松山)に特急に乗って気づいたけど、特急の窓は水垢だらけでした。伊予灘ものがたりの列車の窓は大きくてピカピカにしてあって、透明度高い!
うわーこんな晴れると思ってなかった。
とはいえここまではね、私が想像してた「伊予灘ものがたり」だった。
そしてここから本当の「伊予灘ものがたり」が始まる。
八幡浜までの運行時間2時間半。通常の鈍行各停普通列車ですら2時間で浜までつくのに、さらに30分もオーバーするから、ゆっくり食事してまったり海見ようと思ってたんだけど。
お写真お撮りしますーとアテンダントがいうので、食事もおざなりに写真撮影。
もちろん手前のカメラでも撮影してくれるのだけれど、あとで写真もらえます。
「伊予灘ものがたり」の予約がとれてすぐ父親に電話し、車両独占できるから一緒に乗ろうよ!と誘ったら「そんなんのらん」と言われ、また父親の偏屈が出たわと思い、仕方ないから「お母さんにも聞いて!」と父が母に聞いたら「乗る!」と即答するので、両親乗ることになったのだけれど、父が一番はしゃいでましたわ。うん、知ってた。
海と道路と電線の併走。列車の車窓から見るこの光景、私の原点にある気がする。
とか言っているうちに、下灘駅につく。え、もう?!
停車時間は8分。発射時間になると音楽を流すから戻って、とのこと。
下灘駅って、駅のホームが短いから、どうやって降りるんだろうと思ったら、2号車に移動して降りる。
ギャレー脇を抜けて(この通路好き)。
2号車とは区別をするために特注の「のれん」がしてある。
のれんをくぐって2号車から降りると下灘駅。
当然全員降りるし、観光客もたくさん来ているので、小さな駅なのに人がわんさか。
私が愛媛に住んでた頃の下灘駅は、海が見えるだけのもの寂しい駅だったのにね。
まあそんなわけで人を入れないで写真を撮ろうとするとこんな感じの1両目です。
下灘駅は、ホームのすぐ前が海みたいに見えるけど、実は海との間に道路があるんです。
とか話している間もなく時間です。
こういう漁港の風景も好きー。
とかいううちに本村川橋梁(串の鉄橋)です。もうね、席立って撮影しちゃう。だって一両独占なんだもの。
まあ実にゆっくりと走ってくれます。
これはむしろ我々のために、というよりも撮り鉄さんのためなのかもしれん。
乗ってる我々は鉄橋と海と車両の、あの姿は見えないもんね・・。
いつのまにか片付けられて、温製料理。器かわいい。
真鯛。うん愛媛といえば真鯛よねー。ふんわりやわらか。
食後のコーヒーはカップ選びから。
地元の野球少年が手を振ってくれている。
わかる。私も小学生のときはそうだった。予讃線の列車は、電車じゃない。ディーゼルでガシガシ走っていく。地元では列車(気動車)のことを「汽車」と呼んでて、ワンマン(一両)でも「汽車」。
別に伊予灘ものがたりでなくても、特急列車でなくても、なんなら普通列車にだって、「汽車」に居合わせれば手を振ってた。だからこれが愛媛のおもてなしで、四国遍路の延長にある「お接待」なんだっていうのも、まあわかる。
・・・なんだけど、この野球少年以外の「おてふり」は、なんつーか過剰で、ここから怒涛のおもてなしが始まる。
なぜなら海沿いから離れるから。
一級河川・肱川沿いを登る。前日が台風2号なので、川が茶色だわ。
私が今の職場に就いたときに、全国の一級河川を覚える必要があって、上司に私読めなかったんだけどこれ読める?と言われたのが「肱川」だった。ひじかわですよね、というと、「あ、愛媛出身だっけ」と言われて初めて、県外者は読めないんだなと知った。大洲城は肱川に守られる城だが、肱川が大氾濫するので城下町の家は家に舟がある家がある、というのがジョークでなくて本気の話だ。私が高校生の時も大氾濫して(1995年)、私の伯母は、1階が駐車場だけの3階建ての家に建て替えた(1階が床上浸水したから)。
堤防とダムは、流域住民にとって死活問題。
そして野村ダムというのは治水だけでなく分水もしていて、水の供給を受ける八幡浜市民にとっては必須のダム。
2018年の西日本豪雨では野村ダムの緊急放流で死者5名。ほんとうに痛ましく、なんとかならなかったかと思うけれども、ダムが壊れるわけにはいかなくて、緊急放流しなければならなかったのも、よくわかる。
肱川沿いの新しくできた堤防を見ていると、そういう感慨にふけりそうになる。
穏やかな田園地帯。この風景をいつまでも見ていたいという錯覚。
そんなぼーっとする間もなく、伊予灘ものがたり限定グッズの車内販売があって、カタログとグッズのサンプルをわざわざ席まで持ってきてくれる。記念に何か買おうかなと思ってたんだけど、結局買わず。オリジナルのハガキサイズカードがもらえて車内スタンプも押せたからそれでいい。
怒涛のおもてなしは続いていて、沿線ではママさんたちがポンポンを持って手を振り、老人ホームではうちわを持って手を振り、子どもたちは3万人ありがとうの横断幕を持って手を振り、五郎駅ではたぬきに扮した少年が借り出されている。
えーと、伊予灘ものがたりは毎週土日に運行していて、一日2往復だから、土日で8回もコレやってんのか、と呆れた。
我が地元ながら、私が毎土日これをやれと言われたら断るなあと真剣に思い、バイト代くらい払ってやってくれよと思ってしまう自分がいる。
大洲城が見えてきた。
櫓しか残ってなかった城に、2004年に天守が木造復元された。
私は職場の専門誌を読んで感激し、コピーして保管した。今は一日城主として城に泊まることができるという。
映画「すずめの戸締まり」に一瞬だけ出てきただけで、大洲城!と泣けてくる。
車内アナウンスでは、お手ふりをいちいち紹介してくれていて、それも見逃さないようにと事前に教えてくれる徹底ぶり。「大洲城では旗を振っています」というので拡大撮影。これ雨の日はどうしてるんだろうと真剣に心配になってくる始末。
大洲城もベストビューポイントであり、海とは反対側になることもあって、ゆっくりと走ってくれる。
せっかく3両目なのだから、後ろの風景も撮らないとねというので、見どころ多すぎです。
肱川を渡る一直線の橋。
川と橋と城。「すずめの戸締まり」シーンが思い出されるが、なんたって乗ってるので車両は見えず。
こちらも撮り鉄のためのスローペースなのかもしれん。
大洲城を過ぎると、スピードアップ。そういや特急化したんでしたね、という気合の入った走り。
2870mと長大な夜昼トンネルを抜けていきます。道路の方のトンネルでも全長2141m。
これを抜けると我が町八幡浜です。
もうね、ほんとよく知ってるガススタです。木村さんダレ?
線路脇の家の窓から、おばあちゃんがひとり手を振ってた。なんかもうおばあちゃんの生きがいなんじゃないかっていうくらい、いい笑顔で。毎週末、時計を見て汽車の時間に合わせ、そろそろだなって窓に行って、通り過ぎる瞬間を狙って、たぶんかなり前から手を振っていて、通り過ぎても手を振ってる。そういうのが分かって、なんか泣きそうになる。観光列車って、すごいな。
あそこらへんが私が通ってた高校だよーという間もなく八幡浜駅。
私が高校3年間使ってた駅。
駅構内の待合所がこんなことになってました。
一息ついて振り返ってみると、予想してたよりずっと慌ただしい、気忙しい観光列車だった、というのが感想。
郡山駅で予約を取った後、大船駅で予約の人数変更をしたので、見たことのない手書きの紙の切符。
切符には、JRの予約システムMARS(マルス)と紐づける固有番号がないし、当然ながら私の名前が書いてあるわけではないので、ほんとに予約がとれているのか心配でしたが無事に乗車できました。
食事の予約はアプリをインストールして予約せねばならず、そのアプリに不具合があってほんとに予約がとれているのか、確認画面はちゃんと当日に表示されるのか、本当に不安でした。
問い合わせてもたらい回しにされた挙句、当日乗車するときになってみないとわからないと言われ、なんじゃそりゃと思いましたが、ちゃんと予約もされていたし画面も表示されました。
あーこういうヒヤヒヤするシステムは性に合わないわ。
そう思うと、「伊予灘ものがたり」の予約というのは地元の人がJR四国の「みどりの窓口」に行って、お姉さんと会話しながら列車と食事の予約をする、というのが一番ベストな方法で、地元の人のための列車なんだなーって思う。
妹が「お父さんに予約とってもらったら」と言うのがわかるわ。
でもそれじゃあ「結婚20周年ありがとうご招待」にならんやん?