ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

旅と暮らしと物見遊山・奈良

頭塔
旅と暮らしは似てる。非日常と日常は表裏一体。

史跡・頭塔は旅程に組んでなかったけど、バスから見えて、2人して「あれ!凄くない?!」と話して急遽行くことにした。
かつてはいわゆる「裏山」で、子どもの遊び場だったそうだ。
奈良では「あそこには何かあるから掘り起こすな」と言われているところには、ほんとに「何かある」らしい。
平地の中にポコッと出てくる、山並みから少し離れた小山(残丘か?)は、それだけでそこになにか居るような気がする。
町並みが一望できる地形。
発掘調査で出てきた塔はピラミッドのようで、地の利を生かした分、木製の塔をつくるより楽だったのかもね。
予定外のものを楽しむのが楽しい。

新薬師寺
薬師寺は今でこそ小さな敷地だけど、かつては大寺院だったらしい。
創建当初から唯一残った建物(創建当初は食堂)を本堂にしている。
瓦屋根の色が色々で面白い。材質が違うのの寄せ集めなんだろうな。
本堂内は暗くて静かで、十二神将が円陣を組んでいる様がカッコいい。
天平時代のアイドル(!)だったに違いない。
きっとめっちゃ鮮やかだったんだろうなと思ってたら、再現CGのポスターが展示してあり、感動した。
マジでアイドル。
「ビデオ上映中」の看板を見つけていってみると、庭園のある建物で再現CGのDVD上映中。
DVD30分、全部観た。庭園も見た。
連れ合いに「こういうの旅先でふつうやらない」と言われた。
「え、でも観て良かったでしょ?」「うん」

高畑は町歩きが楽しい。

VOW物件。「思い止まれ(とどまれ)、先は蟻地獄」。
瓦に桃
ひとんちの屋根見るのも楽しい。
瓦に大黒様
旅の写真は、スナップショットが醍醐味。

志賀直哉旧居
旅の最終日は高畑行くか西大寺に行くかで、私も連れ合いにも決め手がなかった。
どっちでもいいし、どっちも行きたい。でもどっちかしか行く時間がない、二者択一。
ぐだぐだ悩んでいるのもばからしい、どうする?
「こういうときはね、コイントスで決めることにしてる」と連れ合いがいう。
実際には、連れ合いが身に着けているスマートウォッチ(万歩計)の下一桁を見る前に、偶数だったらA・奇数だったらBとして、「偶数か奇数か」で決めるという。いいね!
というので、高畑の志賀直哉旧居に行くことにした。
ちなみにコイントスで人生を決めても幸福度は同じ」だそうだ。
calil.jp

志賀直哉旧居は、「直哉居」の熊谷守一の扁額があり、連れ合いが気に入って何度も見ていた。
熊谷守一家の表札は何度も盗まれた、って映画のエピソードにもなってたよ、と言うと、「モリのいる場所」?というので、そうそう、と受付のお姉さんと3人で映画の話をした。
一通り屋敷内を歩いて、秋晴れでぽかぽかの広縁に座り、庭を見ながら、色々話をした。
たぶん、30分くらいは話をしてたと思う。
日曜だったけど、誰も来なかった。
志賀直哉旧居の庭
志賀直哉旧居の庭

朝行った福智院、閉まってたけどもう開いてるんじゃない?というのでもう一度福智院に行く。
地蔵大仏とも言われる大きなお地蔵様。
光背に地蔵が560躯おられ、六地蔵と本尊を合わせると、計567躯。
お釈迦様が入滅後、弥勒如来が救済するまでの、56億7千万年を、地蔵菩薩が担う。
つまり、1体1千万年がんばってくださるんですね、と説明していただいた。
私の母校に、高橋新吉の「るす」という詩の石碑があって、私は「解決を先送りにしていい問題はいくらでもある」という歌だと思ってると話をした。

留守と言へ
ここには誰も居らぬと言へ
五億年経つたら帰つて来る

そんな話をしていたら、虹が見えますよと言われ、光背の後ろを見せていただいた。
不思議な光景だった。ステンドグラスでもないのに、光背の後ろに、桃色や紫や緑色の光が見える。
晴れているからといっていつも見えるわけではない、見られてよかったですね、と言われた。
連れ合いが「福智院」は旅程の中で一番期待してなかったけど、一番行って良かった、という。
うん、私も。

奈良の最後のランチはどこにしようね、というので、夜に行った「香音」に昼も行くことにした。
今回の旅程は、大筋を私が決めて、連れ合いに食事場所の候補を挙げてもらった。
ランチの候補もいくつもあったけど、「香音」に再訪。
夜もランチも丁寧な仕事ぶりがわかる味。意外なほどの価格設定。
この店の名刺、あの人におみやげにしようよ、きっとどんなお菓子より喜ぶよ、と話す。
shunnsai-kanon.jimdofree.com

例えば奈良の3泊4日で「運が悪いこと」はたくさんあった。
行きたかった店は再訪しても閉まってたし、買う予定だったものは買えなかった、行きたかったけど諦めたところもあった、わざわざ共通券買ったのに片方しかいけなかった、行ったごはん処があんまりよくなかった、寒かったうるさかった、つかれた、でもそういうのすっかり忘れて、「ああ運がよかった」「いい旅行した」と思う。

私は、旅は暮らしのように、暮らしは旅のように、と思う。
人生物見遊山。