ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

行ってみたらあらためて新潟が異世界だった3

前々回のおはなし「行ってみたらあらためて新潟が異世界だった」

前回のおはなし「行ってみたらあらためて新潟が異世界だった2」

新潟の天然資源で、天然ガス・石油ときたら、次は佐渡金山に行かねば。

佐渡は、初日の朝便に乗って3日目の午後便で帰るという2泊3日コースだと、思い立った時には船の予約が一杯でいつも諦めてた。今回は、土曜の夕方便で行き佐渡2泊、月曜の夜便で新潟に戻り1泊してから火曜に帰宅、の3泊4日。土曜の予約が木曜にネットでぽちっとできるなんて、いい時代になりました。

ジェットフォイルとすれ違う ジェットフォイル

ジェットフォイル+バスツアーというのも良さげだったのだけれど、バスツアーの内容が薄くて却下。うん、佐渡金山だけで一日使おうとか思ってる人はツアー向きではないです。

金の採取方法は「山金」「川金」。佐渡は両方ある。いわゆる「山金」は山を掘るので「史跡 佐渡金山」、「川金」は川砂を浚うので「佐渡西三川ゴールドパーク」。ゴールドパークは砂金採りがメインで資料は少なそうなので今回は却下。

「史跡 佐渡金山」の観光コースは2つあるのでもちろん両方行きます。

定番・宗太夫坑コースは、鉱山観光をすれば同じ手法すぎて飽きるレベルの江戸時代の作業風景=人形展示です。だんながうん十年前に見たというあれです。しかしここでの必見は木製ポンプ「水上輪」で水をくみ出す人海戦術。動いてるからよけい働いている感ある。

上も 下も

あ、これ春に別子銅山でみた「箱樋(はこひ)」と同じ・・・(水上輪の方がまだラクそう)

別子銅山では絵だった 別子銅山水抜図(一部)

日本の大規模採掘現場で水がでないはずがない。佐渡では山から掘り始めて海水面を下回るほど掘ったから、と説明されているけれど、黒部ダムのトンネル(湧水)だって、常磐炭田(温泉)だって出るのですから。

資料館を見た後、続いて道遊坑コース。こちらは地図を渡されます。

トロッコレール 道遊坑

お、こっちは来たことない、とだんな。それもそのはず、1989年(平成元年)まで現役。観光コースとして整備されたのは10年程前らしい。

ほんとうに広いけれどこんなのは鉱山の一角 道遊の割戸の根元

山を登って道遊の割戸の根元が見られる。道遊の割戸は、露頭した部分から山を掘り下げていったら山が割れたという佐渡金山でも最も象徴的な光景。露頭部がどんなにキラキラしてたかと思う。

佐渡金山のメイン・相川金銀山は1601年(慶長6年)に発見されて、江戸時代が長く続いた理由の一つと言われるくらい幕府を支えるわけだけれど、先の宗太夫坑コースの最初に出てくる産出量のグラフは、昭和の第二次世界大戦前後が飛び抜けている(参照)

コース内にある機械工場の中で、昭和25年制作のニュース映画が見られる。これ必見。金が枯渇してきて規模縮小するのが昭和27年。このとき9割の人員が解雇されたというからその規模縮小ぷりは凄い。つまりその2年前だから、工業化されたすべてが現役で動いている様が見られる貴重な映像です。

高任立坑

そんな大盛況時の映像を見たあとで高任立坑を見るとまあなんとこぢんまりしたものかと思う。

参照:佐渡金山を世界遺産に:古写真ギャラリー(昭和10年頃の高任立坑の写真あり)

レッグドリル

ちなみに機械工場の中には平成元年まで使われていた様々な機械が展示してあるわけだが、解説文のオチが全部「現在も使用可能です」になってて、いい繰り返しギャグになってて笑えた。

レール動かず 触らずにはいられない

工業化の遺産

左から粗砕場→貯鉱舎→搗鉱場(右奥)。架空索道がここを走っていた時代を想像する。

搗鉱場 搗鉱場zoom

上から見てもラピュタ感ある搗鉱場。

道遊の割戸 道遊の割戸

そうして改めてどのパンフレットにも使われている道遊の割戸を見ると、いやまあ、大谷石なんて山が割れてるどころか山ないしね、とか思ったりして。

大谷公園 大谷公園は露天堀のあと(2012.7)

上の写真探してたら、大谷石は2014年と2016年にも行ってた。好きらしい。

搗鉱場 搗鉱場

第3駐車場からは粗砕場→貯鉱舎→搗鉱場が下から見られる。下から見上げる搗鉱場もオツなものですね。

大立立坑 大立立坑

もう一つの大規模立坑・大立竪坑は看板が欠落していた。

すごい崩れっぷり 道遊の割戸の裏側

大立竪坑を見に第5駐車場まで行って、道遊の割戸の裏側に来たことに気づいた。うわーすごい崩れっぷりです。第4駐車場埋まってます。あとで気づくけれど、相川市街地からこの第5駐車場までの道路って元トロッコ道なのです。いやーどんだけ。

つづく。