小学生のとき自分の生活圏が「瀬戸内式気候」という学習をして「冬あたたかく夏涼しい」「年間を通じて晴れが多い」という、なんとも暮らしやすい地域であることを知った(夏の渇水が問題点ではあるが私の地元ではそうでもない)。さらに雪もまったく降らないわけではないので、四季がはっきりしているわりに温和。正月に帰省して雪が降ったりすると「歓迎されてるね」と言われる。子どもが生まれた日に雪が降ったから、それにちなんだ名前をつける。雪が「天からの贈り物のように思える」のが愛媛というお土地柄である。
そんなだから新潟の人と話をすると、もう申し訳ないくらいに異世界なのです。昨年、越後湯沢に行ったら、川端康成の「雪国」が読みたくなり読み直した。正直親の金で女を振り回す最低な男の話と思っていたのだけれど(そして実際そうだったわけだけれど)、「雪国」への憧れと畏怖のようなものを持って読んでみると、その土地の恵みと人々の生き様が、時代背景とともに如実に映し出されていて、それを美しさというのなら、それはたしかにノーベル賞ものだろう、と思ったのでした。
清水トンネル開通が昭和6年。「雪国」の刊行が昭和12年。長いトンネルを越えて雪国に行く、というのはある意味贅沢なんだろうと思う。
そんな話を新潟六日町出身の恩師としたら、「北越雪譜」を読むといい、と言われて、読んだ。雪で簡単に人が死んでいく。これは「遠野物語」と同じ類のお話(事実を淡々と書いていく)だと思った。土地の話はその土地に行かないといけない。で、鈴木牧之記念館があるというので、塩沢に行くことにした。
塩沢紬は色がかわいい。多色展開しだしたのは合成染料が普及した最近からなのだろうけれど。塩沢紬より前に、越後上布が織られていたという。絹ではなく麻で織る方が手間がかかる=高級品。麻の糸を濡らしながら織る様は、湿度が高い地域の冬仕事と思う。糸を濡らしながら織る・・・!「関東は冬は加湿器だけど、新潟では除湿機が売れる」と言われるわけだ。
塩沢つむぎ記念館で話を聞くだけで気が遠くなる機織りの仕事を、やはり大勢の女が分業して助け合っていたのだろうと思うのです。
鈴木牧之記念館で、色々な話が紹介されていたけど、機織りの最初(糸をつくる)から最後(反物にする)までひとりでやろうとがんばった女が、できた織物にシミがあるのをみて発狂した話、どういう教訓よ・・とか思う。
12年ぶりに燕三条地場産業振興センターにも行ってみた。男の冬仕事は鍛冶、というのも納得がいく。
まあ12年前と違って、道の駅に指定されて団体客がバンバン来ていて大盛況でした。でも売れ筋だけ置くようになった感じで品数は減ったかな・・。特に買うものもなく退散。
新潟市歴史博物館に行ったら、2019年が新潟港の海外開港150年目の節目ということで、港関連の展示満載。
新潟にいると、ロシアや中国の方が東京より近い感覚わかる。新潟空港の開港って昭和4年で、清水トンネルより先なんだよね・・・。
みなとぴあ館内
新潟を語る上で38豪雪(昭和38年)と新潟地震(昭和39年)と信濃川の洪水は外せないらしい。でも私は地盤沈下の話が気になった。原因は天然ガスのとりすぎ。天然ガス?
「新潟市は、河口の町なのでマキが少なく、主な燃料として昔からワラ・マツ・タキギのほか、天然ガスを使用してきました」「これが家庭用のコンプレッサーです」
えええ?いやいやふつう、天然ガスって出ないから。なにこの四段オチ。
ああそういや新潟って石油も出るんだったな。環太平洋造山帯の背斜にあたるから石油とガスがとれるのか・・・と高校地理を思い出す。
旧第四銀行
そんな話をしながら元銀行のレストランでランチをいただきました。
元銀行のカウンターの中でランチが食べられます。造作がすてきです。
白身魚がぷりぷりでおいしかったので、なんていう魚ですか?と聞いたら「ハチメ」です、という。はちめ?はちめってなに? と調べるとどうやらメバルの仲間らしい。北陸~東北の日本海側ではメジャーな魚らしい。
ちなみに夕食は寿司をいただきました。シャリが小さくて食べやすい。魚が新鮮! 岩ガキを頼んだら、うますぎて悶絶した。佐渡産。カキといえば冬の真牡蠣しかしらなかったけれど、この時期は岩牡蠣。大きい。分厚い。ジューシー!