ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

2月文楽公演 "鑓の権三重帷子" "女殺油地獄"

二月文楽公演。ようやくようやく、の「女殺油地獄」です。この作品は、大学のゼミで「子供の殺し」の題材として扱ったもの。私にとっては、原文で読んだ初・近松です。当時から文楽を観たいと思っていたのだけれども、なかなか縁がなく今まで持ち越してました。

女殺油地獄」は第三部。夜の公演になるので、昼間はどうしようかなーと思っていたら第一部がやはり近松の「鑓の権三重帷子」。せっかくなので第一部も観ることにしました。

 

「鑓の権三重帷子」はあらすじだけ予習して観たのだけれど、帯を取られるなんてどういう状況なんだと思っていたら、この帯のやりとりがこの話の肝だと言ってもいいくらい! 表が紋で裏が菊で、それをちゃんと締めてるっていうのも凄いけど、それを脱がしてこれを締めなさいというおさゐのセリフ「帯に名残がそれ程惜しいか不肖ながらこの帯なされ、一念の蛇となって腰に巻き付き離れぬ」。

うわー。巻き付き離れぬ、て。これこそ「不義」でしょう、と思うのです。「身は潔白な」と解説は言うけれど、ほんとに潔白な二人なら、あんなにも寄り添って歩くなんてありえない、とか思うのです。だから市之進は妻を一刀両断するのよ。

 

女殺油地獄」は、なんというかもうこの親にしてこの子あり、という感じです。もうなんか「甘えの構造」とかそういう話じゃない気がする。まあこの話にはいろいろ思うところがあるのだけれども、それについて語るのは別の機会にします。

ひとつ、最後壮絶な殺しのシーンで、お吉って、喉を刺されてその後も腹をさされたりしてるのに、しぶとく生きてるなあ、とだんなに話したら。「お吉はとっくに死んでいて、小心者の与兵衛がなにか別のものを見ていて、自分で油ひっくり返してひとりで滑ってひとりでガクガクしているだけ」と言うので、すごく合点。おお、新解釈。「寝たる子供の顔付きさへわれを睨む」のところだものね。

与兵衛、よく滑ってました。足遣い大活躍。震えてるのか滑ってるのかという描写がなんとも凄まじいね。

 

ポスターの前で

この日はとても暖かくて、上着がいらないほどでした。朝から夜まで観劇するので、ラクチンのウール。深い紫に黒の刺繍が細かく入っていて、ウールなのに上品で好き。献上柄・博多織は締めやすくてお気に入り。

帯揚の始末が相変わらず下手でまだまだ難題。以前はお太鼓って枕もあるし面倒だと思ってたけど、枕があるおかげで型崩れせず椅子にもたれられるので、これからもっとお太鼓締めて帯揚に慣れなきゃねー。