ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

2月文楽公演 "大経師昔暦" "曾根崎心中"

私にとって初めて観た文楽は、2004年に内子座での「曽根崎心中」でした。原文で近松を読み、文楽を観たいと思い、文楽を観るなら、最初は近松の世話物で、そしてできれば内子座で、と大学時代から思っていた私にとって、祖母の葬式のために帰省して、そして愛媛で見つけた内子座文楽公演のポスターは、祖母が私に巡り合せた幸運のひとつに思われたものです。その内子座で、吉田文雀が演じ住大夫が語ったお初は、私が原文を読んで想像していたお初よりずっと大人びていて品が良い、という印象を持ったのを覚えている。

その後、年に1回は文楽に足を運び、なんとなく人形遣い太夫の違いが分かってきた(まだ三味線はよくわからない)。

そういう中で、女役なら吉田簑助、男役なら桐竹勘十郎、床は豊竹嶋大夫、というのが好みだなあ、と思い始めたところに、今回の吉田簑助文化功労者顕彰記念公演第3部「曽根崎心中」である。

お初に簑助、徳兵衛に勘十郎、切場語りに嶋大夫と、まるで私の理想の公演!と、意気込むも、発売開始と同時に完売。あー予想してたけどねー東京公演は混むし人気演目だし私はあぜくら会にも入ってないしねー。でもがっかり。

でも第2部「大経師昔暦」も観たい演目だし文雀さんだし住大夫なので、チケットを買いました。まあ曽根崎は一度観てるしね、しょうがないよね。と思いつつも、キャンセルが出ないかと毎朝毎夜チケットセンターの空き状況を確認。

そしたら。空きが出たのです。しかも3列目中央という凄い位置!キャンセルしたひとありがとうありがとう。

平日だったので、仕事を早退させてもらって、観てきました。地下鉄を降りるとすっかり暗くて、ひとりで劇場の前に立っていると、文楽を観に来たというより、これから江戸時代のあの曽根崎の森に行ってくるといった気分になってくる。

曽根崎心中近松が原文で「恋の手本となりにけり」と書くだけあって、至極まっとうに二人の心情が追えて、悲恋に浸れる作品。3列目中央は本当に人形がよく見えて感涙ものでした。

お初が目を閉じて語るシーン、じわりとする。名場面の足もしっかり見えてその白さにどきりとする。嶋大夫が艶ぽく語ると、簑助の美しい佇まいに情感が増し、勘十郎の男気が際立った。初めて内子座で観た文楽と比べると、お初(19)や徳兵衛(25)の若さを感じた。

「ハテ死ぬる覚悟が聞きたい」と独り言になぞらえて、足で問えば~の名場面は、もっと切羽詰った印象でいたのだけれど、むしろゆったりと覚悟を確かめるような感じ。あるいは、相手にも自分にも覚悟と試すような感じ。

それが観られただけでも国立劇場まで足を運んだ甲斐があるなあ、と思うのです。

  • 第2部「大経師昔暦」

こちらは千秋楽で観ました。導入・大経師内の段の綱大夫がよかった。入れ違いが分かる「ヤアおさん様か」「茂兵衛か」「はあ」「はあゝ」の場面の幕切れ。驚きというよりも、私はむしろむなしさを感じた。

中段・岡崎村梅龍内の段の切場は住大夫。私は住大夫の女性のセリフ部分の語りはあまり好きではないのだけれども、地の文を語るときの威力は凄いなあと思う。引き込む。不吉な影。

最後、奥丹波隠れ家の段では、たくさんの大夫が出てくるのだけれども芳穂大夫の声が突出していて、それが良いか悪いかはわからないのだけれど、役がまた役人だったせいで、それがとても物語を現実的に冷ややかな結末にさせてた。死んだお玉の報われなさとか、そもそも入れ替えしようと思ったいたずら心や、ふたりで逃げているのにのうのうと芸人に祝儀をやる無用心さ、もうそういうものすべてが白日の元にさらされて、もう滑稽なほどに、なんとも女は浅ましいなと思ったのでした。

前 後

絞りの鹿の子。帯が堅くて締めにくいのだけれども、緩みにくいのはうれしい。今回は補正パット入りの襦袢を着てみました。胸元がすっきり収まって、崩れも少なかったと思う。特に帯の位置は毎回上過ぎたり下過ぎたりする感じでいたのだけれど、私はこの高さがちょうどいい、という印象をやっと持てた感じ。