ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

ブラックフォーマルはレンタルしない

喪服セット
ちゃんと「葬式」をしてあげたい、という気持ち。

私自身の葬式はずっと「しなくていい」という考えだけれども、「葬式」そのものを否定しているわけではなくて、誰かが誰かの葬式をしてあげたいという気持ちはわかる。
葬式は故人のため、というよりは生き残った人のための大切な儀式。
だから、私の葬式を誰かがしたい、というならそれは止めない。

成人してブラックフォーマルを初めて着たのは18年前。祖母の葬式。
一応、黒のスーツで黒のバッグを持って帰省したのだけれど、帰宅してみればそれではだめ、これを着なさいと一式渡された。
通夜には、祖母が買っておいたというブラックフォーマルワンピースを着た。
葬式には、母が買っておいたという喪服(着物)を着た。

どちらも自分サイズではなかったけれど、私の父は祖母の待望の長男(第三子)で、私はその第一子なわけで、祖母や母の「葬式」は「ちゃんとやるもの」だ、という意思を感じた。
祖母は歩けなくなる前に葬式用の写真を自分で撮りに行き、棺には「守り刀」を入れてくれと母に渡してお願いしたという。

サイズが合っていない喪服を着た時、私は私が成人式で着物を作らなかったからだな、と思い至った。
地元の成人式に出たくなかった私は、成人式に出るでない、着物を着る着ない、つくるつくらない、無地か柄か、で母と散々揉めた挙句、実家に帰らないという強硬にでた。
今思えば、自分がいいと思う着物を作り、長女に着せたいという母には、申し訳ないことをしたと思う。
そのお金は喪服に当てられ、私サイズの喪服は祖母の葬式の後に、おそらくは成人式の着物をつくるはずだった呉服屋で採寸してつくられた。
(ちなみに私が葬式で着たサイズ違いの和洋の喪服は今、妹が持っている)

祖母の火葬では自分の黒スーツを着たのだけれど、3シーズン(夏用)のブラックフォーマルワンピース+ボレロ、フォーマルバッグは、すぐ自分で購入した。それを今も使っている。
ちなみに実家のお土地柄では、いわゆるブラックフォーマル(正喪服)は葬式や初盆ぐらいで、近隣のみの通夜や身内のみの3回忌は略喪服、7回忌にいたっては地味目の普段着とするもの。
なので、ブラックフォーマルを着る機会は実は少ない。
しかし関東では、通夜も葬式も法事も全部ブラックフォーマルで略喪服は基本的に着ない、ということを知って、この度の13回忌も、ブラックフォーマルを着た。

前日がものすごく冷たい雨で、法事当日は晴れて暑くなるという予報。
13回忌だし故人との関係を考えても、黒のスーツと悩んだけれど結局ブラックフォーマルワンピースを着て、それで正解だった。ちなみにご年配の方々や施主や施主の家族がパールのネックレスをしておらず、これは、はずした方がいいのかな、と思ったのだけれど、私と同じ関係性くらいの方が着用されていて、私が外すとその方だけネックレスをしていることになるのでつけたままにした。

出番の少ないブラックフォーマルではあるけれど、手放すことはしない。
何かで代用したくないし、レンタルの手続きは煩わしいし、慌てたくない。
自分ばかりに気を遣っていると、周りに気を配れない。
葬式は、周りに目を向けて、誰かのために動けるようにしておきたい。

バッグとネックレスと袱紗と数珠をセットにして、すぐ出せるようにしておく。
ハンカチやトートは地味めの普段のもの、黒の靴、黒のストッキングも普段遣いのもの、香典袋は必要になってから買う。
弔事にしかつかわないから奥においやるのではなく、いつも開ける引き出しの目の届くところ。
バックもネックレスも袱紗も数珠も、弔事だけでなく慶事にも使えるものにしている。

いいお式だった。
故人の子どもたちが立派に成人していて、子どもに未来を見たいんだ、という、ある小説の一説を思い出した。
通夜から毎回読経してくださるお坊さんはとても良い方で、引き合わせてくださったのだと感じる。