ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

縄文女子、うんちく4人旅

茅野駅前
縄文のビーナス」と「仮面の女神」に会いに行きましょう。
さくっと「あずさ」3号を予約して茅野まで1泊2日。
大月で「富士回遊」との切り離しを狙って見学。茅野駅では二人の女神が出迎えてくれました。
早速、尖石縄文考古館へ。
縄文のビーナス
いやーこんなの出土しちゃったらもう、って感じです。
国宝ですよ国宝!写真撮っちゃっていいの?!て感じです。
ハートのお尻
360度見られるところもうれしい。お尻がハートでかわいい。
一万年以上続いたとされる縄文時代
日本以外の国では、いわゆる縄文時代というのがここまで長くないらしく、採集だけで生活できるほど日本が自然豊かな国だってことがわかる。日本人が日本人たる由縁というのは、この一万年で決まったという本もあるくらい。
まあ、西暦ですら2000年ぽっちですからね。

河岸段丘の上
赤丸シールが住居跡。まあ見事に、河岸段丘の上にある集落です。
縄文海進を考えると、今の平地は全部沈んでいるわけで、尖石遺跡は高原にある遺跡というので標高1000mというけれど、諏訪湖ですら喫水線が800mまであったというから、高原というよりようやくみつけた平地だったろうなと思う。
糸魚川静岡構造線フォッサマグナ
ヒトが平地を求めて海岸線を離れ、川沿いに遡上し、見つけた大地に住む。

縄文土器は取っ手が見どころ
縄文土器は後期になるほど緻密で芸術的になっていく。
縄文時代は少人数で移動しながら生活してたというけれど、後半になるほど農耕ができるようになっていき、大規模集落になる。そうなるとただの器や道具では飽き足らず、当然装飾が増えていくわけで、「この紋様どうよ?!」とか言いながら作っていったのを想像する。
エコーラインを走り「傍(かたわら)」でランチ。途中で、柳川を越える槻木大橋を渡ったら、ずいぶんと谷になってて驚いた。柳川が相当にえぐっていったのだ。

この地域で特筆なのは、土器だけじゃなく、黒曜石の一大産地だったっていうところ。
ガラス質で鋭利で加工しやすい黒曜石は、鏃(やじり)としてはもちろん、生活の中でナイフとして様々に使われたことだろう。
ここが、日本で一番都会だった時代を想像する。
日本を南北に貫く糸魚川静岡構造線を伝って、黒曜石は北へ南へと流通した。
タケミナカタの母とされるヌナカワヒメ翡翠の神様だしね。
当然、南北の文化も入り込んでくる。

諏訪湖
夜の諏訪湖
上諏訪の宿はどれもそれなりな温泉宿なので、宿の夕飯はつけず「くらすわ」でいただきました。
12.5畳+6畳の和室を予約したけど、12.5畳に布団を敷いて、6畳の掘りごたつで夜だらだら話せてよかった。

今年は諏訪大社に参拝、という話をしたときに、私は諏訪明神タケミナカタのつもりでいたのだけれど、一緒に旅行した同僚(長野在住)はそう思ってなかったところが、そもそもの話のはじまりだった。
タケミナカタは攻めてきた側でしょう、諏訪信仰っていうのは、攻められた土着の神様をお祀りしていると思う、という。
ここでいうところの土着の神様、というのは、モレヤ神とかミシャグジ神とかソソウ神とか、名前はともかく、タケミナカタがやってくる前の信仰。タケミナカタオオクニヌシの子)を出雲からやってきた弥生時代だとすると、縄文時代の信仰と思う。

モレヤ神社
洩矢神社は、タケミナカタが諏訪入りしたときに迎え打ったモレヤの民の神社とされる。
天竜川の対岸に藤島神社があり、諏訪入りの地とされる。
タケミナカタは藤弦の杖で、モレヤが鉄輪で戦ったそうだ。
冷静に考えて藤弦が鉄輪に勝てると思わないのだけれど、藤弦が鉄輪を絡めとったと解釈することにした。殺し合いによる征服ではなかったのかも。
黒曜石は鉄が入ってくるまで使われたとされるから、鉄を使ってるモレヤ側もまた鉄の加工技術を持って諏訪入りした民と思う。タケミナカタはより優れた鉄加工の技術を持って諏訪入りしたはず。
縄文から弥生への時代の流れは、技術が上書きされながら変化していったと思う。
諏訪大社の歴史の中に、大祝(おおほうり)と神長官(じんちょうかん)というのがあり、大祝の祖先がタケミナカタ、神長官の祖先がモレヤだそうだ。

神長官の薙鎌
「神長官守矢史料館」は、諏訪大社の神官であった守矢家の私設資料館。
鹿の首が壁に並んでいたりする様は、縄文を色濃く反映していると思う。
稲作に感謝というよりも、イキモノを殺して食べて感謝するという匂い。
神事として使われるという薙鎌は、史料館の柱にうちつけてありました(上の写真)。
国境(神域)を示すものだそうだ。

ミシャグジ神
敷地内にミシャグジ神が祀ってありました。
神長官は大祝に神を降ろし、大祝は現人神となるのだそうだ。
ミシャグジ神が何かというのはよくわからないけれど、蛇(ソソウ神)・龍神タケミナカタ)に習合しているようなので、自然が神様という感覚でいけば、水とか石とか大地とか。いろいろ調べたり読んだり見たりした中では、空から降ってくる雨というよりは、地下から湧き出る水のイメージ。
立ち返って、フォッサマグナとのつながりを考える。火山の連なり、断層の活動、地震、湧水。火山活動があってこその、黒曜石と翡翠

大祝というのは神様の依り代で、6歳~15歳の子どもだったそうだ。
様々な儀式(断食)を行って神を憑きやすい状態にするという。
そういえば遠野物語でも、神様と出会えるのは子どもか猟師で、神様は繁栄と衰退を司る。

ある社会が現人神を必要とするのは、強力なリーダーシップと境界(安全地帯)を必要とするからだと思っている。
縄文時代の狩猟や採集による食べ物と水の確保、弥生時代の豊作と水の供給。
そういえば縄文土器の持ち手が蛇のデザイン、という説明が多かった。
縄文土器というと火焔型土器のイメージが強いけど、蛇といえば水のイメージ。
戦っているのは、外敵というよりも、土地そのものとなのかも。

諏訪入りしたタケミナカタ国津神)もまた、タケミカヅチ天津神)に負けて諏訪に蟄居する。
日本という国が、海の外から民がどんどん流入して、それを飲み込んで国家となっていく様。
タケミナカタがモレヤを滅ぼしてしまわなかったように、融合しながら新たなものを作り出していくのがこの国のいいところなのかもしれない。

よく蟄居で許されたものだ、と思うけれど、タケミカヅチ鹿島神宮)とフツヌシ(香取神宮)が要石で大地(中央構造線)を抑えているように、タケミナカタ諏訪大社)もまた大地を抑えているのかも。
あっと、フォッサマグナ中央構造線と交差するのってこのあたりか?!と調べたらどんぴしゃ。

神社の位置って、大体断層に沿ってるって話がある。
日本の神様はみんな、この火山列島日本を抑えて宥めてくれてるんだなあ。
なんてとこでオチがついたので就寝。旅終わり。

諏訪大社本宮の御朱印
諏訪大社本宮では、まだ茅の輪がありました。
半年分の穢れを落とす。布橋渡れました。硯石を四脚門から望む。
私がいまお祈りしているのは、誰でしょうか、タケミナカタ様?ミシャクジ神?
多分、諏訪明神

茅野市民館図書室
ちなみに、茅野駅直結の茅野市民館図書室が素敵です。