4社は同格で参拝順は特に決まってない、というのが公式見解。
伊勢神宮では、明確に参拝順が指定されていたので悩まなかったけれど、諏訪大社ではどう回ってもいいそうだ。
そうはいっても、4社それぞれに特徴があるようだから、こちらもある程度ポリシーを持って回りたい。
今回はタケミナカタ参拝なのだけれど、調べれば調べるほど諏訪大社の歴史におけるタケミナカタの名は薄く「諏訪明神」が立ちはだかってくる。「明神」という言葉は仏教伝来の言葉だと思っているので正直私にはしっくりこない。呼び名の問題でいうなら「お諏訪さま」が好みかな。
そんなわけで、諏訪大社の中にタケミナカタ様を探すことになる。
タケミナカタの存在がくっきりと際立つのは、妃神ヤサカトメとの関わりで語られる時だ。
男神(タケミナカタ)が女神(ヤサカトメ)に会いに行くという御神渡り。
諏訪湖が全面氷結し、その氷が盛り上がる様。
調べると諏訪湖は江戸時代まで水位が高く、上社本宮の手前まで喫水線があったという。
御神渡りのうち「一の御渡り」では、上社本宮から下社秋宮に伸びる線を描くという。
yatsu-genjin.jp
御神渡りを記録しているという八剱神社。
前回の女子旅で参拝したのだけれど、神楽殿に七夕飾りがしてあった。
7月6日が乞巧奠(きっこうてん)で舞の奉納があるという。
調べるとヤサカトメは、ホタカミの妹とか娘とか言われる。
ホタカミは穂高神社の神様、ワダツミの直系で、九州からやってきた安曇族の神。
出雲系タケミナカタは、土着のモレヤを神官として吸収し、ヤサカトメとの結婚で安曇族と手を組んだというわけだ。
穂高神社は長野という内陸なのに「御船祭」があり、諏訪大社のヤサカトメは春宮から秋宮に、穂高神社と同じような「舟」に乗って移動する。
遷座祭は8月1日。つまり今は、春宮にいらっしゃる、ということだ。
御柱も春宮から秋宮に持っていくという。これは春宮から秋宮へ実際に歩いてみたい。
というわけで下社から参拝。
で、駐車場を調べたところ、春宮周辺は丸一日とめるにはちょっと・・と思うのしかなかったので、秋宮の一番広いと思われる駐車場に止めることにした。調べるとホテル山王閣跡地であり、霞ヶ城跡であり、下社の神官の居城だったという。
地形的にどこが駐車場の入口か謎だったのだけれど、秋宮鳥居の横をすり抜けるように行くので正解らしい。
朝イチ突入!舗装されてないけど広い!諏訪湖見える!
秋宮へのご挨拶もそこそこに、秋宮前の甲州街道から春宮に向かって歩き始めます。
ほどなく中山道との合流地点。
中山道はここで90度折れて塩尻宿から京都に向かいます。
中山道で春宮へ。歩くと一旦下ります。
この通り、温泉がでちゃってでちゃって、という感じでそこらへんにお湯が出ている。
断層って感じ。
温泉街をあるき、本陣あり一里塚ありで町歩き楽しい。
朝なので誰もいないと思いきや、交通量多い。歩いているのは旧中山道であって、車は142号行ってよ!と思っていたら、142号通行止め。去年8月の豪雨で陥没、って写真みたらこれ陥没じゃなくて土砂崩れでしょうよ・・・。
国道142号災害復旧工事 お盆前完工見通し – Nagano Nippo Web
うん、ここ思いっきり縦ずれマークあるところだわ(国土地理院地図)
地理院地図 / GSI Maps|国土地理院
旧中山道は春宮のところで和田峠に向かって登り始める。
写真は、左が春宮の正面、右が和田峠に向かう道。
あとで気づくのだが、御柱はここまできてここを通らず坂上から奥の春宮の境内に向かって落とす。
拝殿は、秋宮と双子のつくりで、二つの流派が競い合って作ったそうだ。
唐破風の龍、翼つけてる。
諏訪大社は本殿がない諏訪造りというけれども、宝殿を2つも備えて、御柱祭毎に造り替えするから、実質宝殿が本殿。
見るからに新しい方に鎮座されてると思われる。
ご神体は杉の木で、宝殿の奥にあるらしいがよくわからない。
春宮は筒粥神事の的中率の高さで有名だ。今年は5年ぶりに「三行半」を脱したらしい。大きな災害ないといいな。
万治の石仏も見に行きました。かわいい。周りが田んぼになってるのがまたいい。
「おんばしら館よいさ」にも行ってみます。
御柱祭のダイジェストムービーを見たら、御柱は木落しが有名だけれども、春宮に持ってくるまでに2回木落しがあり、いわゆる「木落し坂」と、春宮の境内に落とす「木落し」がある。
境内?!さっき見た境内の一体どこに?!というので係員さんに訊いて行ってみた。
ここか。社務所の横の崖。上に回りこめる道があったので上がってみる。
うわー。
ちなみにここで落とすのは春宮の一と二、秋宮の4本らしくて、春宮の三と四は春宮の後ろで落とすらしい。
ムービーみてわかったけど、御柱は春宮の裏手の国有林から切り出し、一直線に持ってくる。
坂なんて迂回せずに落とせばいいじゃん!というルート。
御柱を運ぶための一大難所が、肝試し化して死者が出るほどの大騒ぎになるの・・わかるわ。
それが祭。
秋宮に駐車したときも思ったけど、諏訪大社は目の前まで道路が走っている。
参道もがっつり車道。白三角マークのところに、「下馬橋」がある。
ここを通れるのは、遷座の神輿だけらしく、ちゃんと下に川が流れているけど暗渠。
「何人たりともここで下馬」したらしいから、道路のつくりがほんと残念!
御柱は参道をまっすぐ中山道に向かって進み、一之鳥居をくぐって、旧中山道で折れ曲がる。
春宮の大灯籠。うっかり通り過ぎたら、道が急に下って行くので、「ここまで諏訪湖だったんだ!」と気づく。
春宮前の適当な蕎麦屋で、適当な蕎麦を食べた。
店に古い本があって、諏訪の歴史散歩的な本だったから軽く読んだら、春宮から大灯篭までは杉並木だったそうだ。
江戸時代は周りに建物がなにもなくて、この灯篭からまっすぐに春宮と秋宮が見え、夜は神社の灯篭の灯がこの大灯篭から見えたそうだ。
杉並木は昭和9年の室戸台風でみんな倒れて枯れてしまったらしいけど、残してほしかったな。
下馬橋・太鼓橋《諏訪大社下社春宮》
ちなみに御柱はこの大灯籠で90度曲がり、旧中山道を通って秋宮に向かうそうだが、お舟は一之鳥居で曲がって国道20号を進むそうだ。旧中山道は狭くて、舟がでかいからかな。
ここを御柱が通るのね。
秋宮到着。春宮と同じ注連縄。
春宮の拝殿は龍が全面に出てたけど、秋宮の拝殿は鳳凰。あと獅子が多い。
秋宮が凄いのは、手水が温泉ってこと。しかも熱い。
下諏訪の源泉は20か所以上あり、湯口の温度は52度だとか。(え、やけどする)
ご神木はイチイ(一位)の木らしいが、こちらもよくわからず。
諏訪大社はご丁寧に鏡と御幣が見えるように飾ってあるけど、原初は木そのものだったんだな、と思わせる。
境内に「遥拝所」があって、いったいどこを遥拝しているのかと思いきや、伊勢神宮だそうだ。
(そういえば拝殿の唐破風は菊の御紋だった)
でもこの後付け感からしても、文化圏が違う匂いがするわ。
ヤサカトメがお化粧のために綿に含ませてもってきたという「綿の湯」。今は駐車場になっているということだけれども、こちらの建物は施錠されてた。ポンプ小屋なのかしら。
玄関飾りの弓矢は、他の家でもあちこち見た。諏訪大社ゆかりのものなのかなあ。
「しもすわ館おいでや」で、水運儀象台と黒曜石を見る。青塚古墳が見られるのがよかった。
ところでここでも御柱祭のダイジェストムービーを見たのだけれど、「おんばしら館よいさ」のムービーとまったく同じ筋立て・脚本で、でもナレーションの声も違うし御柱の年も違う。
なにこれ、エンドレスサマー?!エンドレスエイト?!
まあここまで来たら木落し坂にも行ってみないといけないでしょ、というので行ってみた。
駐車場なし! まあ誰も来ないだろうと思ったら、他に一台来たよ。
今年は寅年。下社の御柱祭は4月8日~10日だったらしく、そのときには土むき出しだったと思われるがすっかり雑草が繁茂していた。
え、下見えないんですけど。斜度35度ですってよ。蔵王温泉スキー場の「横倉の壁」が38度だったかなあ・・。
と、余韻を残すまもなく、雨が降り出します。
本日の町歩きルート。
三角八丁(みすみはっちょう)という名前がついている。