ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

三月十七日お葬式 - 喪服

やっと気持ちが日常化してきたので初めて着た喪服のことなど。

祖母(父方)は3月15日が命日になりました。

いちど帰宅した3月12日から生と死の間を彷徨っていたらしく、揺り返しが何度かあったようですが、夜になって眠るように逝ったようです。ちょうど父と叔父のいるときでした。

苦しまなくてほんとによかった。死に顔もまるで生きているかのように奇麗で。

躾に厳しい人で、オモテの戯言に感傷的に書いているわりには、かなり苦手でかなり嫌いでかなり怖かった記憶があるのだけれど、こうしてみるとそういうつらかった時の記憶でさえ、なにやら楽しかったように思い出されるのが不思議です。

通夜や葬式は亡くなったひとの話をたくさんするとよい、という話を聞いたけど、たくさんのひとのおばあちゃんにたいする思い出話を聞いて(そのほとんどが端から聞くと悪口のような思い出話なのだけれど)、どの人の話も人恋しい感じがあって、淋しくそして楽しかったです。

通夜は祖母が買っていたとかいうブラックフォーマルワンピースを着ました。

帰省に当たって母に二十歳のお祝いにもらった宇和島産の真珠があるので身につけたんだけれど、ほんと真珠は冠婚葬祭使えて便利だと思った。持っているのは真珠ひとつだけのささやかなネックレスだけれど、そのうちちゃんと「真珠のネックレス」を買おうと思う。今回は母に借りたり。

葬式は母が用意していた喪服。これ、良子に用意したがよ、とか言って出してきたのに、名前を書くところが妹の名前に書いてあって笑ったわー。もう。母は書き直してもらわないけん、とか、良子用にまた作らないけん、とか言ってたけど、どうするやら? 今回はそのまま着ました。

出してみたら名古屋帯っだったので、まあ自分で着られるかなーと話していたら、葬式の会場に行くのに、行ってから着せてもらうよりも、着て行った方が都合がよい、という話になり、着付は私がすることに(!)

ひとりでは不安なので、伯母と一緒に母と叔母の着付をしました。

叔母は比較的奇麗に早く着付られたのだけれど、母が難しかったー。しかも母の帯が袋帯で(!)、ありゃー袋帯の2重太鼓ってうろ覚えだわ・・・というのでかなり焦った。伯母さんと四苦八苦。

「まさか娘に着つけられるとは思わんかった」

とか言われつつ、完成。

帯を締めるときに、結ばずに道具を使ったのだけれど、この道具が便利だった!きちんと固定されるし。この道具、自分で着つけるのには大変なんだけど、人に使うのはすごラク。帯もシワにならずに痛まないし、一個持っておくと便利かも。名前わからないけど今度見つけたら欲しいなー。

最後に自分で着る。

一式つくってもらったとかで、葬式用の草履まであった。こちら(関西?)の喪服は羽二重ではな縮緬が主流。重いけれど、さらさら落ちる感じではないし、比翼もなかったので比較的着やすい。私寸法では裄がちょっと足りないかな~

長襦袢はもちろん白。帯締や帯揚も黒いけれども、伊達締めや帯枕、帯板や組紐まで黒いのは知らなかった。

五紋のフォーマルを着るのも初めてで緊張です。下がり藤。

下がり藤

実は叔父が紋章絵師なのだけれど、奥さん(叔母)のバックにこの紋を入れてあってカッコよかった! 今度私のにも描いてもらおう!

葬式では帯がゆるんだので直した程度。母と叔母のすそ線はきちんとできたのに、自分のすそ線はちょっと上がりぎみになってしまって反省。うーん。自分ですそ線決めるの、まだ感覚分かってないや・・・。

 

叔父は日本画で食えるようになりかけ?なので絵は縮小版のみUP

叔父が描いた祖母の絵(日本画)の前にて

これで祖父母と言える人は全員なくなってしまった。

次は親だあと思うとほんと長生きしてほしい。私も長生きしなきゃいけない。