ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

御朱印はスタンプラリーでいい

善光寺・御朱印帖

なぜならそれで間違いなく寺や神社にお金が入るから。それで建造物や人が維持されてるから。

そういう意味ではスタンプラリーが有料でもいいと思うし、スタンプ型御朱印を無料にして手書きと差別化するのもいいと思う。

私は写経もするしそれを納経した上で御朱印をいただくけど、それをしないと御朱印をいただいてはダメ、とは思わない。

御朱印はお守りと同じで、そこに神様仏様がおられると思う。

それを欲しいと思わせる求心力があるからこそ、御朱印というものが古くからあると思うのです。古くといっても旅が庶民化した江戸時代からといってもよく、それはスタンプも御朱印も同じで、知名度を上げるためだったり来場者を喜ばすためだったり、集客だったり普及だったりの役割を担ってきたはずと思う。

だから「スタンプが押してある御朱印帳や、旅の思い出が書かれている御朱印帳にはお書き致しません」なんて姿勢を打ち出してる寺には行く気がしないし、いやな予感のする神社には近くても御朱印をもらいに行こうとは思わない。

だってそうでなくても御朱印をいただくのは修行のようなもの。どこでも気持ちよくいただけるなんて大間違いです。

失敗があり教訓があり軋轢があり思惑があり。

それでもできれば自分の御朱印帖に直接書いていただくのが嬉しい。

書き置きが悪いとは思わないけど、例えば桃狩りに来て自分でもぎ取る桃のほうが、そこに既に取って置いてある桃より特別感があるのに似ている。置いてある桃のほうが美味しくても。

善光寺は本堂に行けば5種類を、直書きしていただける寺だったのに1種類だけになってしまった。

御朱印待ちの列が長すぎて行き渡らない、という話を聞いた(4時間待ちとか!)。できるだけ多くの人に御朱印をというのなら、一人にかける時間を減らすのもありだと思う。

結局納経箱は見つけられなかったし、納経所はひたすら書いていただく場所だった。だから書いた写経は、北向観音の納経箱に全部納めた。

今も昔も、良くも悪くも、善光寺は巨大観光地なのでした。

でも好きだから多分また行くと思う。

善光寺御朱印帖を購入して、いただいた御朱印で表面が全部埋まる。でも裏も書ける造りでとてもいい紙だったから、次は裏に書いていただこうと思う。

善光寺・御朱印