ひな菊と黒い犬

まあまあそこそこほどほど

純銅ケトルの修理を断念した(遺品整理)

銅ケトル
純銅ケトルがでてきた。

9月に母から遺品整理に来てと連絡が来て、伯母が亡くなったことを知った。
ホームに行ってからは一度も会っておらず、最後に会ったのがコロナ禍前だから5年以上経つ。
あらかた父が捨てたけれど、着物をどうするか見てほしいというので4月になってようやく帰省した。
伯母の部屋に行ってみると私が思う3倍以上の着物があり、丹念に見る時間はなく、穴あき・シミの訪問着・付け下げ・小紋を20枚以上捨て、10枚以上を別の箱に押し込んで後で見るから置いておいてと封印し、紬・小紋・羽織・帯を10枚程度持って帰り、着られるか検討することにした。
着物箪笥を開けてみて気づいたのは、これは着物を見ている場合ではない、ということだった。
引き出しを開けるごとにでてくる、得体のしれないこまごまとした色々なものが、伯母が緊急入院してからずっと放置されていたと思われることを考えると、今すぐにすべての引出を開けて分別する必要があった。

いちばんやばかったキッチン周り

これはやばいと思ったのが、爪楊枝と小豆だ。
何があったんだろうというくらい、どの引出にもバラバラっと入っているつまようじ。
なんで?っていうくらいでてくる小豆。あずき。
アズキってなんだっけ?っていうくらい気が遠くなった。
いやこれ、見間違うわけじゃなく小豆だけど、Gの卵まざってない・・?
ほどほどでいいからという母に、絶対ダメ、今すぐ捨てるからゴミ袋出してと宣言。

分別する食器棚

すべての引出を開けて分別し、爪楊枝を丹念に箱に集めて捨てる。
食べものだったと思われるもの(粉豆塩砂糖茶葉コーヒー)をすべてまとめて燃えるごみにして、その日のうちにゴミ捨て場へ持って行った。
開けた引き出しに掃除機をかけ、「空」の張り紙をしていく。
プラスチック類をまとめ、ごちゃっと入っていた食器棚を食器だけにしていく。
紙類を重ね、金属とガラスにわける。
掃除機のゴミ袋パックも新しく変えた。
大変だからしなくていい、という父に、そんなことはわかっている、でも今日しかやれないから、次は来年かもしれないから、と黙らせる。(もう何年も年1回帰省しかしてない)

食器棚に収まらない皿
ちなみに全部分別後のアフター写真で、ビフォーはむしろ全部棚の中に押し込まれていたから一見きれいに見えた。
父にはとりあえず分別だけしてあるから、来年まで放置でもいいから、と言い残して飛行機に乗った。
何か伯母から引き継げるものがあればいいと思ってたけど、哀しいほどゴミばかりだった。
なぜか丼がたくさんあって2枚だけ持って帰って使うことにした。
そして、そんな中に、純銅ケトルが出てきたのだった。

古くて錆びてるけど、庭にアンティークとして飾るのもいい。
錆をとってキャンプに使うのもいいかも。
修理して毎日の中で使うのもありかも。
妹とふたりで散々どうするか悩んだ挙句、妹はやっぱりいい、任せた、という。
私だって、やかんは足りているし、銅は扱える気がしない。
(一度銅の玉子焼き器を買って緑青化させた前科あり)
それでも宅配で送る荷物の中に押し込んだ。

酢と塩で磨く
とりあえず酢と塩で磨けるということなので、やってみる。
酢と塩を混ぜた液体をつくりキッチンペーパーを浸してケトルに張り付けていく。
乾燥すると効果が薄くなりそうなのでラップ。

口がとれてしまった
そして見事に、口がとれてしまったのでした。
まあ溶接部分も劣化してたしなあ。
で、修理を見積もりしたわけだが。

ハンダ付け・中洗浄・中錫・仕上げ研磨一式@20,000~25,000~ほど(税別)
別途、送料・梱包料、お振込み手数料、消費税が発生いたします。

うん、色々調べたけれど相場通りだった。
正直、新品を買うよりも高くついてしまうし、この値段のケトルは新品でも買わない。
私はもう、一生物と思って買ったものが一生使えるわけではないことを知ってる。
銅のケトルが湧くのも早くて湯がやわらかくて美味しいと知ってる。
でも水を溜めて放置できないから、ストーブの上に放置するようなうちの使い方とはまったく相容れない。食洗機も使えない。
沸かして湯をポットに移して水滴を拭きとる、という儀式ができるだろうか。
食器すら自然乾燥させてて拭き上げるなんてことしないのに。
修理代が5千円くらいだったら違ってたかな、でもきっと錆させたな、道具に合わせて生き方を変えることができるかなあ、と散々悩んだ挙句、資源ゴミにすることにした。

オマキヤマアラシ(霞ヶ浦どうぶつとみんなのいえ)

ごめん、そんなにがんばれないや。
妹に、資源ゴミにすることにしたよと言うと、形あるものは壊れる、と返ってきた。

銅のケトルをちゃんと扱える人になってみたいと思ったのは、森秋子さんの「使い果たす習慣」を読んだからで、そして彼女がそのケトルを手放して買い替えていたことを知って、ああ、あの本が言いたかった本質は「物に縛られない」ことだったと思いなおす。
ameblo.jp

私が中学生くらいまでは伯母はスーパーの棚出し等で働いていたようだけれども、高校以降は全く部屋からでない人だった。
字がとても上手で賞状書士をしていたと聞いたことがあるけれど、本を読んでいたわけでもテレビを見ていたわけでもない、部屋で何をしていたのか全くわからなかった。
私にはそういう生き方が理解できなかったけれど、それを否定するつもりはなくて、伯母なりの豊かな生き方をしていたのだと思うことにする。

▼我が家のケトル
nagareru.hatenadiary.org