田沢湖キャンプに至る前、東北ドライブ。
達谷窟毘沙門堂の「牛玉寳印」。最強の魔除けだそうだ。
透明フィルム袋に白の厚紙いれてフィルムをホチキス止めで飾っています。
透明フィルム袋は通販で何か買ったときの商品が入ってた袋の使いまわし。きれいな袋ってとっておきたくなるよね。何かに使える、は使う主義。
札の並べ方が違うのは袋サイズの都合ということで。
最強の御札|達谷窟毘沙門堂 別當 達谷西光寺
手前の木札は、諏訪大社でいただいた限定授与の御柱札「笑門来福」。
一番左は、会社が正月参拝して社員に配っている神田明神のお守り(開運招福守護)。
え?神仏混在よくない?いやいや「達谷西光寺」自体が神仏混淆な寺なのでいいでしょう。
「牛玉宝印」ってことは、牛頭天王(スサノオと習合)だし。
スサノオの子孫のオオクニヌシ(=神田明神オオナムチ)、オオクニヌシの息子が諏訪大社タケミナカタ、ということで、いま玄関はスサノオエリアです。
牛頭天王は、牛玉を蘇民に与えた神様という認識だけれど、牛玉は牛黄(ごおう・牛の胆嚢内にできる結石)という貴重な漢方薬で、牛黄を墨に混ぜたり朱に溶いたりして護符にするという。「蘇民将来子孫也」も「魔除け」。
さすがに「最強の御札」に牛黄は入っていないようだけど、御神水で墨を溶いて摺っているそうだ。
www.houtiji.com
え?毘沙門天どうしたって? いや毘沙門天って薬師如来の脇侍だし、牛頭天王は薬師如来を本地仏とするから、薬師如来=牛頭天王=スサノオってことで、スサノオを守るのが毘沙門天って理屈になるやん?
うん、日本の神様、面白すぎる。
kojiki.138shinsekai.com
達谷西光寺にある壱之鳥居。弐之鳥居と参之鳥居は両部鳥居(厳島神社の大鳥居と同じ形)。
「両部」(密教における金剛界と胎蔵界を意味する)は、神仏習合の名残なのだとか。
ここから有料エリアですよ。営業時間は8:00~17:00なので注意。
洞窟に押し込むようにつくられた懸造り・・・! 自然崇拝が形になったようでこの建築様式自体に感動するわ。
征夷大将軍・坂上田村麻呂がここを拠点としていた悪路王を討伐したというから、この地域の重要拠点。
蝦夷とアイヌは民族的に違う。蝦夷は創作物で扱われることが少ないけど重要な存在
— しげるん (@samaelnoble) 2025年8月31日
エミシ村は岩手県平泉の達谷窟毘沙門堂がモデルだと俺は確信してる
あそこはアシタカの先祖アテルイの根城だったとされてるし、岩壁に面して建てられてる
岩手の寺社は、自然信仰を仏教で封じた痕跡が見られて面白いよ https://t.co/xlCPvmcq47 pic.twitter.com/Dy3LNXc8uU
毘沙門堂の前には、蝦蟇が池に弁天堂。
境内には、閼伽堂(閼伽は仏に供える清水)・姫待不動尊(近くに姫待瀧がある)と、水の確保もばっちりで、拠点にふさわしい。
平安時代に坂上田村麻呂が討伐した悪路王は、「悪路」なんて言われているけれど、「悪」を程度が甚だしいという形容詞で、今でいう善悪の意味ではなく、「路」をそのまま「道」と考えると「非常に険しい道」となり、「道」を「みち」=御地(かみさまのとち)と考えると、そこを治める主(神様)ともいえる。
坂上田村麻呂って、この地域(エミシ)の族長アテルイからすれば侵略者になるのよね。毘沙門天は坂上田村麻呂を加護したストーリーになってるけど、もうむしろ悪路王(この土地)を守っているだと考えてみる。
「もののけ姫」のアシタカはアテルイの末裔とされている。アテルイはナガスネヒコの子孫とも言われるから、ヤマトからエミシへと、縄文時代が北上し移り変わっていく様が見える気がする。
(ちなみに「えみし」は「愛瀰詩(奈良県生駒あたり)」が「毛人(毛の国・北関東)」になり、エミシ(蝦夷・東北地方)になり、蝦夷(えぞ・北海道)になっていくという言葉の移り変わりの面白さよ・・・)
スイレンではなく、コウホネ(河骨)が咲いていました。
日本の固有種。関東では絶滅危惧種です。
境内は、磨崖仏や金堂があったり、見どころ多し。巳年生まれとしては、巳年限定印のある御朱印にも心惹かれたけれど、もう一回毘沙門堂見たいと参拝したら、どなたかの御祈祷をされていたので一緒に読経を聞いてきました。
何言ってるかよくわかってないけど「坂上田村麻呂大将軍」うんぬん云ってたので、一緒に身の内の悪いものを討伐された気になって、最強の御札をいただいてくることにした。お賽銭箱にぺろっと千円いれて封筒で受領。正月は大変そうだ。
厳美渓は、達谷窟毘沙門堂の前に行ってみました。
駐車場は狭そうなので、道の駅に車を止めててくてく歩きます。
途中、温泉神社(里宮)を見つけて参拝。
温泉神社は栗駒山が社地だそうだ。
厳美渓は、栗駒山の火砕流でできた方状節理の美しい、景勝地。
去年栗駒山ビジターセンターに行ったけど、栗駒山の影響範囲広いなー。
長者滝橋まで歩いてみました。鉄筋の代わりに竹筋が入っている竹筋コンリート。
竹筋は見えないので想像してみるのみ。
名物「空飛ぶだんご」の受け取り所は東屋になっていて、戻ってみると列が!
まだ開店(9:30)まで1時間以上あるのに~
というので、東屋で受け取るのは諦めて、お店の方で開店待ちします。
一番乗り。ゴマ・あんこ・しょうゆの三色のセット500円。
串には餅が5個もついています。お茶はセルフ。
団子にはたれがたっぷり。
「飛ばねぇ餅はただの餅」ですが・・・、できたてのお餅はおいしい・・!
かごにいれられて飛んでいく団子。
雨模様なので、ビニール袋に入れられているようです。
ときには旗付きで飛んでいきます。
店内には昔の写真もありました。
イツクシタン号と書いてある。番号は194(いつくし)。
しきりをつかって、たれまで全部いただきました。うまー。
一関市博物館にも行きました。日本刀の原型といわれる舞草刀の産地。
地元で産出する良質な鉄鉱石でこれを鍛えて作刀されたとのこと。
良質な鉄鉱石! これも火山の恩恵ね。
達谷窟毘沙門堂のあと、国立天文台 水沢VLBI観測所へ。
奥州宇宙遊学館や木村榮記念館があって「ノスタルジックガイドツアー」で「眼視天頂儀室」にも中に入ってみることができました。
眼視天頂儀室。1899年から1927年まで緯度観測が行われた建物。
木村榮が発見したというZ項、初めて知りました。
Z項が何かはよくわかっていないけれど、真実に近づくのは、正しく継続された観測と、それに裏打ちされた価値観の転換、というところに天文学の面白さを感じる。
最近「チ。―地球の運動について―」を見たから、天文学さっぱりわからないけど、天文学に身命を賭する気持ちはちょっとわかった。
z項 - Wikipedia
piccoma.com
20mアンテナでかーい。となりの10mアンテナや3mアンテナがかわいくみえる。
人がより精度の高い観測を求めて、より大きなアンテナを求めているのがわかる。
そういや「宇宙兄弟」がそろそろ最終回のはず・・・。
「シャロン月面天文台」の設置(地球での観測より月からの観測の方が精度が高いという理屈)ってのが良いのだよねえ。
morning.kodansha.co.jp
天文学専用のスーパーコンピューター「アテルイIII」。2024年12月2日から運用。
いやー看板なかったらわからなかったよー。
「地元の英雄アテルイのように宇宙の謎に勇敢に立ち向かって欲しい」という願いを込め、「アテルイ」と名付けたとのことだ。
道の駅・厳美渓では、まだつばめが巣立っていませんでした。
東北のつばめは、お盆でもまだ巣立ってないのかあ、と思っていたら、羽ばたこうとしている。
飛ぶ練習。
すぐ飛べるようになって、南に行ってしまうのだねえ。
さて、田沢湖のキャンプ場まではまだ北上が必要です。